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大阪府庁16年間の出来事のリスト

私は2018年10月末で大阪府庁を辞めました。
在職年数は、16年半。
そのあいだ、自分なりに、状況を変えようと意見したり、行動したりしてきました。
 
その行動の一部ではありますが、私の生き方のベースになるもので、公表したいものを以下にリストアップしました。
順次、このブログで、自分の考えを詳しく示していきたいと思っています。
 
●2008年3月 橋下知事就任時の最初の朝礼で、サービス残業に抗議し、テレビでも話題に。(その後、過激派レッテルで大バッシングを受けてえらいことになる。)
→2018.12.24に、ブログ記事アップしました。

 
●2013年1月 震災がれき(2011年3・11東日本大震災の)の焼却を大阪市と府が強行したとき、府庁内部で異を唱えた。(でも強行されてしまった。)

 

●2014年度  2013年度にPM2.5関連業務などで忙殺される中、他府県での事例発表の出張を命じられ、「子ども(当時2歳)が当日に熱を出したときの体制が要る」と言ったことを理由に人事評価でマイナスにされた。そのことに異を唱えた。(でも結果は変わらなかった。)

 

●2014年度~ 震災派遣(2011年3・11東日本大震災の)で現地で急逝した大阪府の運転手が、労災が認定されなかったことについて、ご遺族の裁判を支援した。(2018年に大阪高等裁判所で勝利判決)
 
●2015年度~  大阪府と市の衛生研究所の統合・民営化(独法化)に、府民の公衆衛生が破壊されるという危機感をもち、市民とともに反対運動をスタートした。都構想や、水道、バス民営化にも異を唱えた。
 
●2016年度  異動した先の課長が有名な叱責パワハラ課長だったので、勇気を出してパワハラを指摘したら、おかしなことが起きた。(その結果、職場は少し変わった。)
 
●2016年度  男性目線の「女性研修」に女性職員が怒り、女性研修が中止になった。
 
●2017年度  大阪府環境農林水産部で組織的におこなわれた維新府議の一般質問QAの事前準備について、勇気を出して「府民への裏切りだ」と幹部に進言。でも私には何の返答もなし。その数か月後に、読売新聞にすっぱ抜かれて「忖度」と報道されたが、幹部は反省するどころか、内部会議で「大石がたれこんだ」と言ったようだ、違うのにな。その顛末を詳しく明らかにしたい。

12/2に顛末を記事にしました